三姉妹父さんのマネレッジ

Moneyにおけるknowledgeを貯めよう

『たてがみを捨てたライオンたち』を読んで

こちらはテレビドラマ化もされた『野ブタ。をプロデュース』でデビューされた白岩玄氏の著書。

 

terapapa.hatenablog.com

『プリテンド・ファーザー』に続いてとなりますが、こちらの方が前の作品となります。まだこの著者の作品は2作だけしか読んでいませんが、この方の作品は人物毎の視点を切り替えながら進み、それぞれ交錯していくという形態なのでしょうか。『プリテンド・ファーザー』ではそれが2人でしたが、今作は3人でしたので切り替えが大変だった印象です。そんな作品からの引用メモです。

「でもね、ずっとそういう目で見てると、なんかちょっと可哀想に思えてくるのよ。男の人って本当に勝ちたがってるの。どれだけ自分はそういうものとは縁がないみたいな顔をしてても、結局は周りと比べてるし、自分が強いかどうかを気にしてる。まるでそれがないと生きていけないみたいにね」

 可哀想という言葉が自分にはぴんとこなかったが、男が勝ちたがっているのはなんとなくわかるような気がした。人によって負けてもいいところはいろいろと違うにしても、この分野だけは他人よりも優れているといううぬぼれを大抵の男は持っていて、そこでは絶対に自分の優位性を疑わないように思えるからだ。

P.102

これは題名の背景を端的に表した場面からで、たてがみは経済力、肩書、学歴、運動神経、仕事といったものの象徴だということ。

男性としてまさに分野というか切り口はいろいろあれど、勝ちたがっているというのはある気がします。とは言え、女性にはそういったものが『ない』とも言えないような気もしています。どちらかというと生命としての本質なのではないでしょうか。

「あの人って、ちょっと孤立しているよね?」

「うーん、まぁ、そうだねぇ。別に仲間はずれにしてるわけじゃないんだけど、向こうも入りづらいんじゃないのかなぁ。ほら、幼稚園ってなんだかんだ母親同士の結びつきが強いからさ、そこに男が一人で入ってくるのって、相当勇気がいると思うよ。逆だったら、私無理だもん」

「たしかにそれはあるかもねぇ。あとあれだよ。やっぱり異性だと、親同士だってわかってても、こっちも線を引いちゃうの。だってあんまり仲良くすると、お互いパートナーがよく思わないだろうしさ」

「そうだねぇ。でもちょっと子どもさんが可哀想。親が浮くと子どもが浮いちゃうっていうかさぁ、親同士が仲良くするから子どもも一緒に遊んだりするじゃない?その辺が男の人は難しいよね。男版のガラスの天井って感じ」

P.182

専業主夫となった男性が通う幼稚園の母親たちの会話から。

昨今では男性における育児休業の拡大などもあり、同世代の男性の友人らが育児休業を取った話もめずらしいものではなくなってきましたし、幼稚園や保育園に送り迎えをするお父さんもよく見かけるようになってきました。そういった面では良い変化を感じていますが、子ども同士の遊びやPTAなどの場面においては、まだまだ男性はマイノリティであるとも感じます。

さらに、女性だらけの中に男性が入ることで上記の引用のようにかえって気を使わせてしまう場合もあるように思えて、難しさを感じているところです。

「えぇ、だって『家族のために働いてる』とか言うくせに、家族のために家事をするのは嫌だなんておかしいじゃないですか。そりゃ、得手不得手はあるでしょうけど、僕は自分のために働いてたんだなって今となっては思いますよ。僕が気持ちよく男でいるためには『外で働くこと』が必要だったんです」

 自らの嘘を暴くような鋭い指摘に、僕も同じだ、と胸が震えた。専業主婦になるのをためらったのは、外で働かず、妻に養ってもらっている自分が「男ではなくなる」ような気がしたからだ。でもそうやって男でいることで、いったい何を得られるのかはわからなかった。たいして多くない給料と、自分は男だという自負の他に何があるのだろう?

P.187

同じく専業主婦となった男性のセリフから。たいして多くない給料には激しく同意できますが、自分は男だという自負というのはちょっとよくわからない気がしています。これが20年弱外で働いてきた上でセミリタイアしてしまっているような人間だからわからないのか、そもそもそんな感覚がないのか、今となっては区別のつけようがなさそうです。

「直樹、一緒に考えよう? 私もあなたも、たぶん世の中で言われてる『母親』とか『男の人』とかいうイメージに惑わされてるだけだと思うの。だから二人で考えて、そこから逃げる方法を見つけよう? きっとその方が幸せになれるし、私たちがお互いに納得のいく夫婦の形っていうのがあるはずだから」

P.240

こちらは前の引用の『僕』の妻のセリフから。ステレオタイプから逃げるという選択肢はとても大事なような気がしています。とはいえ、お互いが納得のいく夫婦の形を見つけられたとしても、そのステレオタイプを生み出している社会の中でそれを貫いていくことは、2番目の引用にある場面のように結構難しいような気もしています。