こちらはテレビドラマ化もされた『野ブタ。をプロデュース』でデビューされた白岩玄氏の著書。
家事・育児を妻に任せっぱなしで仕事を優先してきたが、妻の突然死によりシングルファーザーとして4歳の娘を育てることになった恭平と、その恭平の高校の同級生であり、シッターをしながら同じく1人で1歳半の子どもを育てていた章吾との交流を、それぞれの視点で順に描きながら、女性が主に担ってきたとされる子ども・育児に関する諸問題を男性をその立場に置いた上で、男性視点から見つめなおす一書といった感じでしょうか。
子育て中のプリテンド・ファーザーの一人として印象に残ったところの引用メモです。
こうして耕太の近況を伝えるたびに、何かを共有できたような、でも伝えられないことが増えていくような矛盾した感覚に襲われる。たとえばここ数日で耕太は食事のときのスプーンの使い方が上手になったし(前はよく投げ捨てて手で食べていた)、歯磨きも以前ほどは嫌がらずにさせてくれるようになったが、僕が間近で見ているそういった小さな成長をすみれさんは何も目にしていないのだ。もちろんちゃんと伝えればさっきみたいに感心してくれるんだろうが、子育てにはその場にいない人にいちいち言おうとは思わない些細な喜びや驚きがたくさんある。そしておなじくらいつらいことやきついこともたくさんあって、そういったものの大半が共有できずに蓄積されていってしまう。子どもを一人でみるというのは、つまりはそういうことなのだ。僕はもともとの仕事が保育士で、ワンオペなのも納得してやっているからいいけれど、そうでなければ子どもを見ていないパートナーに対して「何も知らないくせに」と苛立ちを感じてもおかしくない。
P.49-50
その場にはいない人にいちいち言おうとは思ない些細なことが無数にある中、それらを共有することの価値は、数値や貨幣に置き換えられない分なおざりにされがちであるが、それこそが人間関係の土台を作っているのかもしれないと感じました。
実物の骨壺を見たからだろう、いつかは自分もあんなふうに埋められるんだなと思うと、普段よりも死を身近に感じた。どんなにがむしゃらに働いたところで、いずれはあの小さな壺の中におさまってしまうなら、人間というのは結局骨になっている時間が一番長くて、人生はそのおまけなんじゃないかという気がしてくる。
P.188
仕事に「おまけ」がある人生ではなく、人生そのものが壮大な「おまけ」であるといった視点に立つことで、目の前にある自分を縛りすぎている価値観から抜け出すヒントになるような気がしました。
子育てのすべてを妻任せにして、自分の考えや理想を家族全員に押しつけた。たしかに衣食住に不自由することはなかった。母が言っていたように、長年働いてくれたことに対する感謝がないわけではない。
でも、そもそも、子どもが欲しいと思って作ったのはあなたなのだ。育てるために働くのは当然で、妻や子どもが勝手に感謝することはあっても、それで威張っていいわけじゃない。
P.213
ただ、そんな父の、自分が上に立つことを当然とした振る舞いこそが、家族というものを損ねたような気がするのだ。
P.214
子どもを作るのというのは親のエゴであり、エゴを通した分、子どもには謙虚に向き合わねばならないと感じました。どうにか家族というものを損ねないようにしていきたいものです。
「小さいところでは守ってやれても、俺は会社で志乃をいっぱい裏切ってる。男尊女卑や女性差別を仕方がないことだと見過ごして、志乃が将来出ていく社会を悪くしてる一方だ」
P.240
我が家も三姉妹がいますので彼女たちを裏切り、社会を悪くす方へ加担していないか自戒していかねばと感じました。
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