アメリカの文化人類学者であるデヴィッド・グレーバーの著書。やりがいを感じられず、ムダな仕事が増えているのはどうしてか、そして社会に役立つような仕事ほど低賃金なのかを考察していく話を読んでの引用メモの続き。
一八五二年の時点ですでに、チャールズ・ディケンズは『荒涼館』において、ジャーンディス対ジャーンディス裁判にかかわる法律家を滑稽に描写している――この裁判では、双方の法廷弁護人からなるチームが、巨大な遺産をめぐる争いを、人間の一生分の時間を超えて継続し、最後の一銭にいたるまですべて食い尽くしてしまう。この物語の教訓は、利潤追求を目標とする事業が多額のお金を分配する仕事に従事するばあい、最大の利潤をあげる方法は可能なかぎり非効率的になることであるというものだ。
P.222
会社員においても効率的にどんどん仕事を遂行するよりも、適度に長引かせて残業代を稼いだり、次の仕事を受けずにいるなど非効率的になるインセンティブはそれなりにあるように思えます。
ひとは、たんにそのプロセスが不条理であるから苦しむだけではない。あらゆる官僚制的儀式と同じで、実質的な作業よりも、それをプレゼンし、評価し、管理し、議論することにはるかに多くの時間を費やさねばならないがゆえに苦しんでいるのである。映画、テレビ、そしてラジオにおいてさえ、状況はますます厳しくなっている。産業内部が市場化されたため、存在しないしこれからも存在しないであろう番組のために、多くの人員が時間を投入せねばならいといった事態のためである。
P.241
プロジェクトの提案資料などもこれに当たると思われます。図表や言葉尻に推敲する時間・労力はあまり実質的とは言えません。この点において、Amazonがパワーポイントを廃止したのは素晴らしい試みだと感じています。
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エグゼクティブたちは、書類が長すぎて回覧できないといいはじめます。もっと短くできないか、と求めてくるのです。あるいは、突然コンセプトをいくつか変えたいといいだします。それで、わたしたちはミーティングを開き、議論をし、ブレインストーミングをおこないます。
このプロセスの大部分が、かれらの仕事に正当性を与えるにすぎません。自分たちがその役職ついていることに理由を与えるためだけに、かれらはいろいろちがった意見をもっているふりをします。するとさまざまなアイデアがぶつかり合うわけですが、かれらの議論は、地に足のつかないコンセプトの次元でのみ、どこまでもだらだらとつづけられます。かれらには、イケてるマーケターとかキレる理論家を自負していますが、総じて凡庸なのです。
エグゼクティブはメタファーで話をすることを好んでいますし、オーディエンスの思考様式や欲求、ストーリーテリングへの反応様式について持論を開陳することも愛しているようです。自分が企業のジョーゼフ・キャンベルでもあるあのように夢想しているのです。ここにもまた、GoogleやFacebook、それ以外のビックネームの企業「哲学」からの影響があるのはあきらかです。
かれらは、こういうこともあります。「Xをすべきとはいわないが、たぶんすべきだな」みたいな。つまり、なにかをしろというと同時にそれをするなというのです。詳細をたずねればたずねるほど、答えはあいまいになる。私はそのちんぷんかんぷんな言葉を解読しようとしたり、かれらのいわんとすることを自分なりに整理して伝えようとはしますが。
P246-247
これもあるあるだと実感しています。コンセプトやストーリーテリングがどう転んでもやることは一緒である場合における徒労感のすごいことはこの上ありません。
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かれらの結論では、貢献度を計算できるもののうち最も社会的に価値のある労働者は医療研究者であり、その職業についている人びとは一ドルの給料につき社会に九ドル分の価値を追加している。一方で最も価値の小さい労働者は金融部門で働いている人びとだが、かれらは平均して一ドルの報酬につき社会から一・八〇ドル分の価値を差引いている(そしていうまでもないが、金融部門の労働者はたいていきわめて高い報酬を得ている)。
分析結果の全容は、次のようなものである。
P.275
自身の仕事について組み合わせて考えてみるとマイナス値となってしました…。
逆説的にも、ソフトウェア・エンジニアたちが、たんにそれが好きだからという動機から、人類への贈り物としてオンライン上で協同して無償での創造的労働をおこなえばおこなうほど、別のソフトウェアとの互換性を考慮に入れる動機づけは減退し、こうして、このエンジニアたちが、そこからくる欠陥に対応すべく昼間は雇用されるということになる。つまり、無償ではだれもやりたがらないメンテナンスの仕事のために雇われるわけだ。
P.286
このパラドックスを解消するにはどうしたらよいのでしょうか。
P.345
読み進めていく中で、最後にこの提言が出てきたことに驚くも、大いに実験する価値があると思えます。