三姉妹父さんのマネレッジ

Moneyにおけるknowledgeを貯めよう

『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』を読んで(1/2)

アメリカの文化人類学者であるデヴィッド・グレーバーの著書。やりがいを感じられず、ムダな仕事が増えているのはどうしてか、そして社会に役立つような仕事ほど低賃金なのかを考察していく話を読んでの引用メモ。

最終的な実用的定義=ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。

P.27

シット・ジョブはブルーカラーで、時給制払いとなる傾向がある。一方、ブルシット・ジョブはホワイトカラーで、月給取りとなる傾向がある。シット・ジョブにあたる人間は冷遇の対象となりやすい。かれらは身を粉にして働くばかりでなく、まさに身を粉にして働くという理由で蔑まれている。だが少なくとも、かれらには自身がなにか役立つことをしているという自覚がある。ブルシット・ジョブにあたる人間は、たいてい名誉と威信に囲まれている。かれらは専門職として敬われるし、高収入のいちじるしい成功者――自分の仕事にまっとうな誇りをもちうるたぐいの人間――として扱われている。にもかかわらず、かれらは自身がなんの功績もはたしていないことに、ひそかに気づいている。たいしたこともしていないのに、その稼ぎで消費者むけのおもちゃを買い込んでは、人生を埋め合わせてきたと感じている。つまり、それはみな嘘っぱちのうえに成り立っていると感じている――そして、実際、その通りなのである。

P.34

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その仕事で、無意味さはストレスを悪化させるということがわかりました。それらのバナー制作をはじめたときは、そのプロセスに耐えていました。ところが、その作業が、程度の差はあれど、意味がないものだということに気づいてしまうと、忍耐力はどこかへ霧消してしまいました。認知的不協和――結果に意味のないことがわかっているのに〔気にしないふりをして〕その過程に実際に参加していること――を乗り越えるには、努力が要るんです。

P.162

これを書いているいまですら、頭のどこかではブルシット・ジョブを擁護したいのです。その仕事がわたしと家族の支えですから。ほとんどの理由はそれです。ここに認知的不協和があるとおもいます。感情からすると、自分の仕事や会社におもい入れはいっさいありません。月曜日に会社に出たら建物が消えていても、社会だけでなくわたしも、ぜんぜんなんともおもわないでしょう。もし仕事から得られる満足のようなものがあるとしたら、バラバラの組織の進路を操縦するのを任せられていること、そして、うまくまとめあげられることにあります。しかし、必要のないものを任せられていることは、あなたも想像できるでしょうが、それほど充実感のあるものではありません。

P.171

もしわたしたちの調査が信頼に足るものであるならば、情報労働者に分類された人びとの大多数が、もし自分たちの仕事が消えてなくなったとしても、世界にはほどんどなんの影響もないだろうと感じていることは明白であるようにおもわれるのである。

P.201

私が会社を辞めた理由の一つとして、自身の仕事の一部乃至大半がブルシット・ジョブであるように感じていたところは間違いなくあると思います。残念ながら、高収入のいちじるしい成功者とは言えませんでしたが…。

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バラク・オバマアメリカ合衆国大統領のインタビューでの発言を考えてみてほしい。そこでかれは、なぜ選挙民の民意に抗って民間企業による利潤追求型の健康保険制度の維持を選んだのか、その理由について述べている。

「わたしはイデオロギー的な観点で考えているのではありません。わたしはそうした観点からものを考えたことはありません」。オバマは続けて、医療制度のテーマについてつぎのように述べた。「単一支払者制度による医療制度を支持するひとはみな、”それによって保険やペーパーワークの非効率が改善されるのだ“といいます。でもここでいう「非効率」とは、ブルークロス・ブルーシールドやカイザー〔いずれも保険会社〕などで職に就いている一〇〇万、二〇〇万、三〇〇万人のことなのです。この人たちをどうするんですか?この人たちはどこで働けばいいのですか?」

P.209-210

高度な資本主義社会と思われるアメリカにおいてさえ、意図してこのような政治的判断がなされるということは、日本においてはなおのことと想像されてしまいます。